第3回 南のシナリオ大賞 最終審査会ドキュメント

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第3回南のシナリオ大賞 最終選考会ドキュメント

皆田: 募集締切が8月末ということもあってか、夏の話が多かったですね。あと沖縄を舞台としているもの。夢破れて故郷に帰ってくるみたいな、同じようなパターンの作品が多かった。

盛多: 故郷に帰ってきて再生して戻ってゆくみたいな話はもうやり尽くされている。最終的に残るのは、そうした定番作品ではないでしょう。全体的にレベルが上がってきてる感じはします。

副島: 「以下のセリフは沖縄言葉で」みたいに、ト書きで方言への置き換えを指示している原稿があったけど、15枚程度なので頑張って調べて書いて欲しい。

香月: それは作者の怠慢ととられても仕方ないです。

副島: 去年は最終選考に残したい作品が1本もなかったけれど、今年は何本かありました。

香月: 去年までは何処かで見たり聞いたしたことあるようなものが多かったけど、今年は自分の頭で書いたオリジナリティのある作品が幾つもあった。全体的にステップアップしてますね。非常に良いのとそうでないのと、応募作のレベルに幅が出てきた。

第3回南のシナリオ大賞最終審査会の写真 左から盛多、副島、香月、皆田

「ぼくはマジメに生きている」

皆田: 駄目サラリーマンに天国から電話がかかってくる話です。

副島: これ面白かったですね!

盛多: 隙がないですよね。

香月: 発想も飛躍している。

副島: 読み始めたときは、最初の5ページはいらない、いきなり天国からの電話で始めたらいいじゃないかと思ったんですけど。読み進むにつれて冒頭の状況説明がどんどん効いてくる。巧い作りだと思いました。

香月: いっぱい弾撃ってこれどうなるんだろうと思ってたら、ラストに向かってきちんと集約されてる。

盛多: この展開は見事でした。

香月: 話が明るくて、明日へ生きる力を与えてくれる。駄目人間が主人公というのがいい。

皆田: オチが好きでした。ぼく自身が励まされているようで。

「正次がいたから」

皆田: 子どもができない姉夫婦と、一人息子のいる妹夫婦の切ない物語です。

副島: 新しさは無いんですが、読んでいてじんじん胸に響いてくる。

皆田: 暗いんですけど。

香月: 渋いのね。

盛多: 主人公が子どもを叩く場面に驚いた。あのシーンがあるだけで評価がドンと上がりました。

香月: いきなり鬼になるのね。

盛多: この作家は手慣れてますよ。

香月: 上手いです、大人のセリフですね。

副島: あざとさがないんです。普通のセリフを重ねてるだけなのに胸が締めつけられる。

盛多: ラストはどう思いました?

副島: 最後のト書き1行は強引でした。切なく切なく丁寧に積み上げてきた世界を一発で壊してます。

「耳の暇」

皆田: 更年期障害で心身のバランスを崩した主人公と、どんなものでも拾って交番に届ける姑の話。

香月: 設定が際立っている。この設定はなかなか発想できないと思う。更年期障害を扱ったドラマってあまりないでしょう。こういう考え方や見方があるんだなと感心しました。

盛多: 空き缶を潰す行為って、けっこうスッキリするんですよ。

香月: ラジオドラマでは効果出ますね、空き缶を潰す音は。

副島: お婆ちゃんの奇妙な行動でストーリーを始めておいて、主人公が抱えている問題をあとから出してくるから、えっそんな話だったの、みたいな戸惑いがおこる。もっと早い段階で、主人公の不安や苛立ちを提示しておくべきでしょう。軸がぶれているんじゃないかと思いました。

香月: 人物像は非常に明確に描けてますけど。古い巡査と新任の若い巡査はあまりに定番すぎて、ちょっと嫌になった。いいセンいってるんだけどね。話が明るいし。ただ若いほうのお巡りさんが善人すぎる。

皆田: 「地上の落とし物は神様の落とし物」ってセリフがいいですね。それで拾ったお金を賽銭箱に戻すというのもいい。姑が、うちの嫁は良い嫁だって言うのはありがちじゃないですか。仲悪そうにしてるけど実は仲良かったみたいな。でもそれをストレートに出さなかったところに好感がもてました。

香月: 「1円を笑う者は1円に泣く」って超手垢で汚れた諺も、このドラマの流れのなかでは新鮮に響くね。

皆田: タイトルがよく分からない。「耳の暇(いとま)」、どういう意味なんだろう?

「時のかけら」

盛多: 都会暮らししている女性が、借金苦で自殺した父親と同じ年齢になって故郷・人吉を訪れる話です。

副島: 細かくインサートされる回想場面がリスナーを混乱させると思う。前半は列車の中での少女時代の回想ですが、途中から乗り合わせた男の回想になったり、引退した先生の回想になったり。たった15分のドラマにこれだけ視点の異なる回想場面を頻繁に出し入れするのは困ります。

香月: 回想のなかに更に回想があったりする。

盛多: ナレーションとモノローグを分けているのも混乱の原因。

香月: もっとシンプルにできたと思う。故郷を描くという意味では温もりのある作品だし、とても爽やかな素材なんだけど。

皆田: 数十年ぶりに故郷に帰ってきた女が、列車に乗ったらそこに同級生がいたって、そんな「冬のソナタ」みたいな偶然あるのかな。

香月: 偶然は、必然の偶然じゃなきゃいけないです。

皆田: それに鞄を先生に預けるなんて、普通しませんよね。

「出会い頭の、ご縁です」

皆田: 山のぼせの老婆とフリーター青年の交流。笑いと涙と人情あり。

盛多: 展開がすんなり行き過ぎ。事件を期待して読んでいただけに肩すかし。

皆田: ドラマが浅いですね。

副島: 最後を山笠で落とすんだったら、老婆をそれらしい匂いのするキャラに作っておかなきゃ。

香月: 博多祇園山笠は町の大きな組織で動くから、お婆ちゃん一人の意志で舁き手がどうなるものでもないし。それに山笠にのぼせるのは男で、ごりょんさん(女性)はのぼせもんの男衆を陰から支えるのが役目。現実的にこれはありえんなあと思った。

「ウルトラマリン」

副島: 島を守るために島を出てゆく少女と、島を守るために島に残る少年の交流。作りは平凡ですが、少女の乾いたセリフが新鮮で魅力的でした。

皆田: 女の子の詩みたいなのが面白かったけど、ラジオドラマとしてはどうだろう?

香月: むかしはこういう詩劇って多かったんです。川崎洋とか。昭和30年代から40年代によく作られてました。

副島: そういうのが懐かしかったので1次で残しておいたんです。無機質に言葉を並べていく不思議系少女って、現代のリスナーにもかえって新鮮に受け取ってもらえるんじゃないかと思って。

「ワラビンチャーの冒険」

副島: わんぱく三人組が刺激を求めて首里城近くの防空壕を探検、餓死した少女の遺骨を見つける話です。沖縄舞台の応募は多かったんですが、沖縄戦を現代の子どもの視線で書いたところを評価しました。

香月: セリフはよく練れてましたね、過不足なく。ただマセ過ぎてたけど。

副島: いまの子どもたちを巧くとらえたセリフだと思いました。子どもたちが生きてるなと。大人の視点がまったくなかったところが、潔くて好きです。

皆田: 防空壕に入っていって行方不明になった少女の話と、少年たちが発見する戦争の犠牲となった少女の話がごちゃごちゃになってるんですよ。

香月: あれは有機的に結びつけなきゃいかんです。

皆田: ラストも、贅沢しちゃいかんという教訓なんでしょうけど、もうちょっとどうにかならなかったのかと。3人の会話は良かったですけど。

香月: ただこれを作るとすれば、セリフは全部沖縄弁にしなきゃならんですね。

副島: 作者本人が、ト書きに「セリフは沖縄言葉で」って書いてますもんね。沖縄弁に置き換えたとき、この活きの良さを再現できるかどうか分かりません。あと防空壕の中で少女の遺骨を発見するという設定が、ラジオ向きだったと思います。

香月: 1924年にイギリスで初めて作られたラジオドラマが洞窟を舞台にしたものでした。「炭坑の中」というタイトルで翻訳されて、翌25年に日本でも放送されています。

「心臓の遺言」

盛多: 心臓移植した少年に、「マラソンで走りたい」と内なる声が聞こえてくる話。このアイディアはどこかで聞いたような気がするんだけど。FMシアター(NHK-FM)でやってなかったけ?

副島: 臓器移植したらドナー(提供者)の人格や記憶も一緒に転移してしまう話は、ハリウッド映画や韓国ドラマにもあって、新鮮味がなくなっちゃいましたね。ストーリーは破綻もなく手際よくトントン拍子に進むんだけど、主人公の戸惑いとか葛藤がまったく描かれてないので共感を得られない。ドナーのプロフィールが明らかになった時点でラストまでの筋が読めてしまうし、その通りにしか展開しない。アマチュアが悪いほうに手慣れてしまうと、このような中身のないシナリオを書くようになります。

「四十九日の家族」

皆田: 同じネタですが、交通事故で両親を失った少年に父親の腎臓と母親の大腸が移植される話です。親子の愛情を軽い笑いでテンポよく描いていて、こっちのほうが面白かった。

副島: 両親が二人とも入ってきて、それぞれの立場であれこれ指図する。少年のドタバタが可笑しかった。オチをタイトルで割ってるのがもったいないけど。両親が去ってゆく終盤は、寂しいなかにも温もりが感じられて、ほのかな感動が残りました。

「はるみとサイタの夜の童話」

副島: 闘病中の娘に童話を朗読している父親が、中断している物語の続きを求めて作者に会いに行く話。O・ヘンリー「最後の一葉」のヴァリエーションですが、巧く綺麗にまとまっています。

香月: 「最後の一葉」がバックストーリーだとはわかっていても、そのエピゴーネンではない、作者のみの詩の世界がありますね。最後は悲劇で終わると予感していたのですが、あざやかに再生に転じて爽やかなラストになっています。

盛多: 女の子は死んだかなと思わせておきながら、実は生き伸びて父親が物語を紡いでいたことが分かる。ここの展開は予想できなかった。一気にラストを見せているが、スピード感があり、納得させられてしまう。いい意味で予想を裏切った作品だと思う。寓話的な要素が強い割には、きちんとテーマを出している。

副島: 本当の作者からその奥さんへ、奥さんから娘の父親へ、そして娘は自分の子どもへと「物語」を語り継いでゆく流れが素敵です。ラジオドラマらしい発想だと思いました。

盛多: しかし、はるみが交通事故で母を亡くし、目も見えなくなって、そのうえ白血病だなんて。ここまでの設定にする必要があったのか、ちょっと疑問を感じる。

第3回南のシナリオ大賞最終審査会の写真 左から副島、皆田、盛多、香月

-- 中略 --

「ぼくはマジメに生きている」VS.「正次がいたから」

香月: 「ぼくはマジメに生きている」と「正次がいたから」が傑出してますね。

副島: ドーンと残ったのは「正次がいたから」。この2本を並べたら、「正次がいたから」がワンランク上。唯一ケチをつけるなら最後のト書き1行です。

香月: 「正次がいたから」は大人の作品だからね。読んでいて涙が出そうになりました。でも「ぼくはマジメに生きている」には若いパワーが感じられる。

副島: 「ぼくはマジメに生きている」は構成がものすごく巧いんですよ。

盛多: 細かいところまでちゃんとオチつけてるし。

皆田: 結局最後に上司が身体とられて大学院に行っちゃうのが可笑しかった。

香月: 声出して笑いたくなるもんな。

盛多: 好き嫌いだと「ぼくはマジメに生きている」なんだけど。

香月: ぼくも好きなのは「ぼくはマジメに生きている」。だけど出来は間違いなく「正次がいたから」。この作者はずいぶん書いてると思う。

盛多: それは分かるんだけど、私はこれだけ書いてますよって、これ見よがしなセリフが1個もない。

副島: 作為を感じさせるセリフはまったくありませんね。

香月: 「ぼくはマジメに生きている」は誰にでも分かるドラマだけど、「正次がいたから」は分からん人には分からんでしょう。しっかり文芸作品を読める人でないと。

盛多: 仕上がりが見えてるんだよ、「正次がいたから」は。

副島: 読んで確かに素晴らしい作品だと思うんだけど。演る楽しさ、作る楽しさというのはあまりないかも。ラジオドラマでなければ表現できない世界かというと、そうでもないような気もする。

香月: レーゼ・ドラマとしては光ってると思う。非常に完成度は高いけど、それ以上のものでもないし、それ以下でもない。要するに上手過ぎ。台本として出来上がり過ぎてる。脚本というのは、演出家が演出できる余分をいっぱい残しておかないと。作ってもこの台本以上の作品にはならないですよ。

盛多: 判定基準というか、この賞の在り方の問題なんですけど、新人作家の登竜門という扱い方すると可能性で選ぶわけじゃないですか。そうすると「ぼくはマジメに生きている」なんですよ。しかし南のシナリオ大賞がレベルの高い作品に評価を与えるという賞なのであれば「正次がいたから」かなあ。

香月: 一般に公開するドラマの場合には、芸術性はもちろん追求しなきゃならんけど、社会性ってのも考えなきゃいけない。そういった意味で「ぼくはマジメに生きている」は軽く明るいし、一般庶民に生きる勇気を与えるじゃないですか。つまり元気の出るラジオということです。最後に友だちと会って友情の確かさとか、ちょっと泣かせる。「正次がいたから」はセリフに磨きがかかってるし、なんとも言えない切ない雰囲気は素晴らしいと思う。ものすごく感動したんだけど、一種の閉塞感があるんです。なんとなく救いがたい感じがして。明るい話題をばらまくメディアという、ラジオ放送の社会性というか役割からすれば、「正次がいたから」の暗さはちょっとそぐわないように思う。

皆田: 「ぼくはマジメに生きている」は明るいし面白いのもあるし、ぼく自身が身につまされたってのもあるけど。「正次がいたから」はズーンときたんですよ。短いセリフがどんどんきて。でも結局、最後は長く子宝に恵まれなかった姉ちゃん夫婦にも赤ちゃんが出来ちゃったじゃないですか。そういう解決方法じゃないと思うんですよ。

副島: だから私は、その最後のト書き1行だけが不満なんです。

香月: これは無くていいんです。これがあっちゃおかしいんです。

皆田: 子どものいない夫婦の恨み辛みがあったり、いろいろあるだろうけど、だけど最後は何かに救われたいですよね。でも子どもが産まれたって救いじゃなかったと思う。

香月: 安直過ぎますもんね。これは産まれないままで二人は乗り越えなきゃいけないんです。たまたま子どもが出来ちゃったで乗り越えちゃいかんのです。二人で乗り越えるものを培っていかなきゃいかんのです。せっかくここまでセリフを積み重ねてきて、最後のあどけない赤ん坊の笑い声でガックリきちゃうもんね。

副島: 作者としても絶対このオチで納得してないと思いますよ。

皆田: 何でそれ書いちゃったんだろうな。

香月: 枚数がきたから書いた、みたいな感じだね。ここまで書ける人がこんなの書かないもの、普通はね。

皆田: 最後が赤ん坊じゃなくて、もっと明るい終わり方だったら、全体の評価も違ってきたと思うけど。

香月: ほんといい話なんだけど、でもやっぱり暗いと思うね。ぼくは二人が最後に何で乗り越えるのか、それが楽しみで読んでたんですよ。そしたら赤ちゃんが授かったでしょう。ガックリ外されちゃって。

副島: このドラマの結末は、このまま二人の人間関係、夫婦生活が永遠に繰り返され続いていく、夫婦がそれぞれに覚悟してその人生を歩んでゆく。諦観というか、離れたところから客観的に自分たちの人生を見つめるみたいな、そういう終わり方になるんじゃないかと思って見てたんです。だから最後に何かあって二人が和解するとか、何か良いことがあってハッピーエンドとか、まったく期待してなかったんです。

香月: これは一つの物語で、また翌年から同じ物語が再び始まるって形でね。カミュの「シーシュポス神話」みたいに。

盛多: 岩を山頂まで運んで、それを繰り返すっていう。無益で希望のない人生。

皆田: テレビを眺めていた、ってところで終わっていたら良かったじゃないですか。終わりの2行はいらない。

副島: 延々テレビから聞こえてくる音が、そのままクレジットアナウンスの背景になって、この夫婦の生活が何ら変わることなく続いていくんだなと暗示させて終わる。

香月: 最後はそれが日常のなかに埋没してしまって、日常のなかにこんな重いドラマが潜んでいたのかということで終わっていれば良かった。

副島: とにかく読んでるあいだじゅう、切なくって切なくって堪らなかった。

皆田: だからこそ、あえて赤ん坊を入れたのかも知れない。

香月: いや、これは起承転結の定番に囚われたんじゃないですかね。結論出しちゃいかんですよ、これは。

盛多: 「ぼくはマジメに生きている」を大賞にしますか?

第3回南のシナリオ大賞最終審査会の写真 左から香月、盛多、皆田、副島

副島: いま「正次がいたから」をいろいろ批判した厳しい眼で「ぼくはマジメに生きている」を見直したら、大きな穴はいっぱいあると思いますよ。

盛多: ある部分、辻褄合わせで走ってるようなところもあるからな。

副島: 「ぼくはマジメに生きている」は腕のある職人なら書けるんです。でも「正次がいたから」を書こうって人はなかなかいないでしょう。

香月: 要するに「正次がいたから」は肉体で書いてるからね。「ぼくはマジメに生きている」は頭で書いている、才気煥発って感じでね。

副島: ここでしか味わえない一品料理か、なにを注文してもそこそこ美味しい人気の定食屋か。

香月: その例えはアレだけど。

副島: ラジオドラマってコアなファンが好んで聞いているんですよ。そんな人たちには「正次がいたから」は評判になると思います。逆に「ぼくはマジメに生きている」は、ラジオドラマに関心ない人が、初めてのラジオドラマとして聞いても楽しめる親しみやすさがあります。

香月: 持っているドラマの役割、機能が違う。

盛多: どちらか選べってのは無理がある。

皆田: もし「正次がいたから」を録音することになったら、作者に納得してもらって最後の部分はカットしてもらうとか出来るんですか。

香月: それはお願いしたら、いいと思います。このままじゃぼくは耐え難いですね。最後は書き直してもらわないと。せっかくK2の頂上まで登っていながら、コケ落ちたみたいな感じで。

皆田: 両方大賞にしますか?

盛多: えーっ! ちょっと待ってよ。

皆田: これ、誰が見ても迷いますよ。

南のシナリオ大賞 2編選出

盛多: 2本選ぶのってありですか?

香月: 本当はないんですけどね。

皆田: 技術的に、録音するのが大変とかあるでしょうけど、せっかく良い作品が2本あったんですから。発表してあげたほうが良いんじゃないですか。確かに「正次がいたから」は書けないですよ、よっぽどの人じゃないと。でも「ぼくはマジメに生きている」を聞いた人は、ラジオドラマって楽しいな、おれもイケるかなみたいな感じで、来年応募が増えるかも知れないじゃないですか。

盛多: 2つ制作するというのはあると思うんですよ。今年は県知事賞も評価が高かったのでこっちも制作しましたというのは。でも大賞2本というのはちょっと。

香月: いや、2本同じ扱いで大賞に。県知事賞、市長賞は別に出して、今年は入賞作4本ということにしましょう。

盛多: 結果発表のとき、ここで迷ったことは誰にも分からないですよ。

香月: それはちゃんと但し書きつけます。賞金5万円だからそれを6万にして、3万、3万で。ぼくはこれが一番いい決着だと思う。

盛多: 入選作なしよりはいいですけどね。

香月: 大賞2編でいきましょう。いかがですか?

皆田: ぼくはいいと思います。

盛多: 大賞は2本制作するんですか?

香月: それを決めなきゃいかんね。

盛多: 2つは作れないでしょう。

香月: 作れないね。いや、作れないことはないけど、えらいエネルギーいるんですよ。

皆田: 大賞だったら両方載せたいですけど。載せないんだったら、どちらか1本に絞るべきだし。

香月: 2本作るのは大変だなあ。役者の手配もあるし。スタジオはもう押さえてもらっているんですよ。あと1日お願いできないこともないけど。1日で2本やる場合には、やっぱり収録前にリハーサルを1日、つまり役者を2日拘束することになって、これは役者のスケジュールもあるし、予算的にも難しい。

盛多: 「ぼくはマジメに生きている」の芝居ができる役者はいるかな。

副島: 喜劇に馴れている役者さんが達者に演じてくれたら、面白いものに仕上がると思います。

盛多: ダメ出し多くなりそうだ。

副島: 何回も何回もテイク重ねて、現場は大変でしょうね。

香月: 作るのは「正次がいたから」の方が難しいですよ。一言一言のセリフが重いもの。何気ないセリフが重いの。特別なセリフはなにも使っていないでしょ。これをこなせる役者はかなり上手くないと駄目です。「ぼくはマジメに生きている」は簡単に出来るんですよ。下手な役者でも簡単に出来る。

皆田: けっこう間が難しいですよ、「ぼくはマジメに生きている」は。

盛多: 役者が下手だと笑いがとれない。

皆田: 「正次がいたから」は主人公の弓子だけしっかりしてれば、なんとかなりそうだけど。

盛多: 「正次がいたから」は作者と話さないといけませんね、ラストをどうするか。

香月: ラストは変えてもらいましょうよ。あれはいかんですよ。できれば発表の前に変えてもらいましょう、本人の名誉のためにも。

副島: シナリオをウェブサイトに掲載しますからね。

香月: 考えてみたら30分のドラマ1本作るのと同じだよね。

副島: それは違うですよ。

香月: うん、それは違う。いまのは取り消し!

2009年10月10日、福岡市中央区天神・天神エコールにて

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