日本放送作家協会 九州支部
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日本放送作家協会は、放送メディア文化の普及発展と国際的交流をはかり、我が国の文化向上に寄与することを目的とした一般社団法人です。九州支部には九州・沖縄で活躍している脚本家・構成作家40名の会員が在籍しています。
お散歩日和
真夏の日照りも和らぎ、心地よい秋風が吹きぬけていく。
久しぶりのお散歩は家の近くの大濠公園まで、近くといっても歩いて二十分くらいはかかる。
長閑な住宅街を黙々と進んでいく。
車がポツリポツリとそばを通っていく。
今日は祝日、道沿いの美容室や雑貨屋もお休みのよう。
通りの中学校のグランドではかけ声が響き渡る。真剣なピッチングのポーズとバッティングは本番さながら、先生らしきものは見当たらないが、こうも集中して練習できるものなのか、不思議でならない。
ようやく大濠公園に着き、ゆっくりと右回りにお散歩。
ママ友らしき女性たちがベビーカーを押しながら談笑している。
不意に意地悪な考えが一つ。
これぞサスペンス劇の始まりのシーンだ、と。
彼女たちが過ぎ去ったあとをしばらく眺める。
いけない、いけない。
駐輪所のところで一人の若者が釣竿を手に持ったまま、年配の男性に叱られていた。話している声はよく聞き取れないが、年配者の怪訝そうな表情からしてこの若者が釣り禁止地域で釣りをしたということが容易に想像できる。
若者は少し不服そうな表情。
二人を過ぎてすこし歩くと湖の崖に「釣り禁止」甲板が立っている。
もう少し歩くとポツリポツリと釣竿を伸ばして釣りに夢中の人たちが見えた。
先の若者はどうしてこの場所で釣らないのだろう。
三十分ほど歩いてじんわりと汗が滲み出る頃、ちょうどスタバに到着。
ここのコーヒーは本当は私には苦くて、前はあまり入るところではなかった。しかし、ある時仕事で知り合った中国人の女性のお客様からスタバのモカコーヒーをおごってもらったことがある。ブラックコーヒーも好きだが、クリーミーでほんのり甘い泡の感じがとても好きだった。
初めてそれを飲んだ時、口に入るものなのに、なぜが温かいふわふわとした綿に包まれている感じがしたのを覚えている。
それ以来、私にとってスタバといえばモカコーヒーに限る。
すこし歩き疲れたし、ここで一息しよう。
今日で三回目だがいつもはテラスに座って飲むことが多い。
でも今日は運よくソファ席が一つ空いている。
店内にはいろんな年齢層の人でいっぱい。
大学生らしき女子軍団が三人、学校の課題に取り込み中。
物書きの仕事をしているらしきスーツ姿の女性。
老眼鏡越しに分厚い小説を広げて読書に没頭している中年の男性。
首をかしげながら英文書物を熱心に読んでいる若い男性。
友人とのおしゃべりに花を咲かせている女性たち。
迎え側の窓ガラス越しにはどこまでも続く青と温かい日差しに艶やかに光る公園の湖が一面広がる。
遠いところからアヒルの乗り物に乗った男女が微かに見える。
あの二人は知り合って間もないだろう、でなきゃこんなに静かな湖の上を悠然と漕いではいられない、気恥ずかしいはずだ、と勝手に想像する。
柳の枝が風に吹かれてゆらりゆらり、おしゃれなスポーツウェアで軽快にランニングをする人、音楽を聴きながらお散歩する人、窓越しの眺めは全く楽園そのものに映る。
悩みも、苦しみも、いがみ合いも、貧困も、増悪もない理想の世界、それを見ているだけで心まで洗われ、愛に満ち溢れ、誰もが友であり、家族であり、愛おしく思える。
天国はすでに目の前にあるのでは、とさえ思える。
しかし、一瞬にして「こんな恐ろしいことはない」という恐怖が襲ってくる。
私にはこの一番調和された時間の中にいる自分がまるで太陽の光を浴びた幽霊のように消えていく姿が見える。
下半身から少しずつ、しまいには姿も声も消えていくのが見える。
自分がいつも理想としていた日常の光景にいながら、初めてその光景の中では自分がひとつも存在する意味がないという衝撃を受けたのである。
どうしてこんなことに?
私はしばし混乱に陥り、憂鬱でこの上なく不愉快な気持ちになった。
自分が目にしている光景は間違いなく憧れであるべき姿だと信じて疑わなかったものが、あっけなく覆されたのである。
が、一瞬にして私は愉快さを取り戻した。
複雑な気持ちの交差と感情の起伏が二、三分くらいですっかり整理され尚且つこれまでにない自由と快活に変わる。
それは、理想と現実の統合の瞬間であり、理想の世界に浸る自分と理想の世界では決して生きられない自分がようやく分かち合った瞬間なのである。
とても妙な感じがするが、これで私はいとも簡単にそれまでの自分の心の痛みや悲しみを愛おしく思えるようになった。そしてその後の痛みもちゃんと愛せるという自信と喜びが体中に広がるのを感じた。
南米に荊棘鳥(いばらの鳥)という稀少な鳥がいるが、伝説によると彼らは鳥の巣を離れてからは絶えず棘の樹を探し、願いが叶った時にはもっとも尖って、もっとも長い棘に小さな体を刺し、涙を流しながら一度だけ歌を歌うそうだ。
その美しい歌声は世界のいかなる音色も色あせさせてしまうくらいだという。
そしてその歌と共に殉死するそうだ。
私はもう荊棘鳥がかわいそうとは思わない。
彼らは誰よりも生を全うしているのかもしれないから。
お散歩帰りの道の空には甘いオレンジ色の夕日がかかっていた。
私は胸いっぱい空気を吸い込んで元気よく歩き出した。
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