日本放送作家協会 九州支部
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日本放送作家協会は、放送メディア文化の普及発展と国際的交流をはかり、我が国の文化向上に寄与することを目的とした一般社団法人です。九州支部には九州・沖縄で活躍している脚本家・構成作家40名の会員が在籍しています。
あこや貝の想い
薄明りの式場に静かな音楽が流れている。
私は喪服に身を包み、司会者席へ。
これまで100件近い葬儀の司会を務めたが、慣れるということは決してない。それこそ毎回、仏様にすがるような気持ちだ。
アナウンサー時代、先輩から「葬儀の司会だけはやるな」と言われたことがある。とっさの時に、笑顔と明るい声が出てしまうからだ。
その先輩もこれで失敗。しかも「弔電」を「祝電」と読み違えるというミスまでし出入り禁止になった。
そんな話を聞いていたにも関わらず、フリーになった私は仕事の幅を広げるべく挑戦することにした。
葬儀は儀式である。宗派によってお経も違えば作法も違う。
間違いを「まあまあ」といって許してくれることはない。
だからこそ厳しい訓練をし、どんな事態にも冷静に対処できるようにしなければならない。
実際にこんなことがあった。
平成17年3月20日の福岡西方沖地震。
マグニチュード7の大地震だった。
私は11時から始まる葬儀の準備をしていた。
10分前から式場内での注意事項などをアナウンスする。
話始めて3分たった時、凄まじい地鳴りが遠くから迫ってきた。
と思った瞬間、建物が大きく揺れ電気系統がショートした。
場内は真っ暗。マイクも使えない。
祭壇が崩れ、故人の奥さんが悲鳴をあげている。
「きっと、主人があの世に行きたくないって言っているのよ!」
その時、騒然とした式場に私ののんびりとした声が響いた。
「それじゃー皆さん、まず手分けして窓のカーテンを開けましょうか」
外の光が差し込むと、人々に落ち着きが戻ってきた。
「停電なので少々お待ちください。今、係の者がおしぼりとお茶をお持ちしますので、皆さんが落ち着かれてからご葬儀をいたしましょうね」
無事に出棺したあと、斎場の社長をはじめ多くの人から対応をほめられた。
「あんなに大きな地震にも動じないなんて、本当によく訓練していますね」と。
私は、そのとき初めて、あれが地震だったことを知った。
実は、その斎場で司会をするのはこの日が初めてだった。
大きな国道に面しているため、式が始まる前からトラックが走るたびに揺れていた。地震の時も、トラックの集団が猛烈なスピードで通り過ぎたのだと信じきっていたのだ。
その場は「恐れ入ります」と微笑んだが、帰りの車の中で膝が震えたのを覚えている。
葬儀の司会からは離れたが、今も懐かしく思い出す法話がある。
初めて司会をした日のこと。
「司会者なんていらん。帰れ!」と怒鳴ったご住職がいた。
私の頭は真っ白、顔は真っ青。
それでも何とか式場に入るのを許してもらった。
その時のご住職の法話が「あこや貝」の話だった。
あこや貝は真珠を作る貝である。
女性の場合、葬儀でアクセサリーはつけられないが真珠のネックレスだけは特別。なぜ真珠は許されるのかという法話だった。
『あこや貝は、貝殻の中に不純物が入ってきても吐き出せない貝である。他の貝は、すぐに吐き出してしまう。でも、あこや貝だけはそうして入ってきたもの(真珠の核)をじっと我が身に収めながら四苦八苦して、あんなに美しい真珠を作るのだ。どんな状況になろうとも、その中で精一杯生きる……そんな姿が人の一生にも重なる。それゆえ葬儀の場で真珠をつけ、亡くなった人がその一生でどれだけの真珠を作ることができたか、それを想いその努力を讃える。また自分自身の生き方はこれで良いのだろうかと省みる。真珠とは、そのためにつけるのだ』
まだまだ、あこや貝の心境にはなれない私だが、生きる軸を見失いそうになった時、ご住職の厳しい顔と共にこの法話をふと思い出す。
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